今日も遅くなってごめん。それじゃ、またゆっくり書いてくね。
えっと、皆には心配をかけてしまって申し訳ないけど、俺の事はどうでもいいんですよ。
一連のユーゴ紛争について少しでも関心を持っていただければ、それでいいんだ。
わがままなことを言ってごめんね。
それから1ヶ月か2ヶ月ちょっとは、山の中で生活していたんだ。
フォーチャにはもう戻れないから、結構離れた山中で静かにしていたんだ。
幸運な事にさ、一緒に脱出した人の中に、ミジュヴィナからついてきてくれた
青年の一人が居て、薬とかを時々歩いて5時間くらいかけた所にあるらしい集落に
取りに行ってくれていたんだ。
ただ、食料は毎回のように貰いに行くわけにはいかなかった。
なぜなら、それで俺達の存在がスルツキの人々に知られてしまう可能性があったんだ。
だから、この山中での生活は、食べ物が少なくて辛かった。
食べられそうなものは何でも食べたんだ。葉っぱも食べたし、変な虫も食べた。
動物も居たけれど、捕まえられたのは数回だった気がする。食べ物が少なくて、
大人の人も生きている動物を捕まえるほど体力がなかったんだ。
それでさ、動物を捕まえたとしても、火は起こせなかったんだ。
夜といっても、月だとか星の光で煙が見えちゃうらしいんだ。
だから、動物の肉は生のまま、皆でわけあって食べていた。
水も、何時間も歩いた場所にある池から取ってきて、
濁ったまま飲んでいたんだ。それでも水が足りなくてさ、
ずっと空腹と喉の渇きに飢えていた。それに耐えられなくなった
俺達より少し上の子が、木の窪みみたいな所に溜まった水を
飲んでしまって、お腹を壊して、何日か経った後に亡くなった。
男の人が、何日かごとに結構離れた農地へ作物を盗りにいって、
野菜とかを手に入れてくるんだ。だけど、その食べ物は幼児や
赤ちゃんにおっぱいをあげなきゃいけないお母さんに食べさせて、
俺達を含めた他の人は、食べられそうなものを食べて我慢してた。
葉っぱはさ、たまに毒があるものがあって、最初のうちは見分けられなくて
舌がしびれたり、唇が腫れたりした。だから、食べる時はまず唇に10分くらい
つけて、それで大丈夫だったら口の中に入れて、そこからまた10分ぐらい
口の中に入れたまま、咬まずにしておくんだ。それでさ、舌に痺れだとか
痛みがなければ、よく噛んで飲み込んでた。美味しくはなかったけど、
食べられずにはいられなかった。
その点、虫は栄養もあるっぽくてさ、最初は気持ち悪かったけど、途中から抵抗なく
食べられるようになってた。特にイモムシみたいなのとか、何かの幼虫はおいしかった。
結構大きめのクモも、肉に歯ごたえがあって、味は鶏みたいな感じだった。
とはいっても、この時はずっと空腹で味覚も狂っていたと思うから、実際はそんなに
美味しいものではなかったと思うんだけどね。
色々と慣れてくるものだけど、一つだけ慣れないものがあったんだ。
それは夜の山なんだ。時折、別の山とかに移動して転々としていたけれど、
どの山も怖かった。別に幽霊だとか、動物が怖いわけじゃないんだ。
もしかしたら、スルツキの警察や民兵、軍がくるかもしれない。
もしかしたら、この場所が知られているかもしれない。
そんな恐怖が子どもや大人全員にあって、夜は必ず大人二人と
子ども一人が起きて、見張りをしていた。
それでも、物音がしたり、風で木が揺れる度に、皆が目を覚まして、
息を潜めてさ、場所を移動してもそれはその恐怖は消えなかった。
ごめん。書くのを躊躇っていたけれど、やっぱり書く。
この山中の生活でさ、子ども一人と年配の人が一人亡くなったんだけど、
俺達はその人の遺体を食べたんだ。とても気持ちが悪くて、最初は
吐いたんだ。吐いたけれど、食べないと死ぬぞって言われて、
皆泣きながら食べた。俺はさ、この時、別の肉もソニアやメルヴィナと
食べたんだ。そんな多い量じゃないんだけどさ。
フォーチャから脱出した時、俺はずっとさ、サニャの手を持ってたらしくて、
目を覚ました時にサニャの手がバックに入っていたんだよ。
捨てるに捨てられなくてさ、腐ってきていたけど、ずっと手元に置いていたんだ。
それでさ、今書いた人の肉を食べた後、お腹がすいたって鳴いているソニアを見てさ、
じゃあ、サニャの手を食べようって言ったんだ。
もう、サニャの手は腐ってて、臭いもきつかった。それでも、栄養があるものを食べなきゃって
自分達に言い聞かせて、メルヴィナも呼んで三人でこっそり食べたんだ。口の中に入れた瞬間、
へんな臭いと味が広がって、思わず吐きそうになったけど、サニャの分まで生きようって
三人で言い合って、食べた。
この時が、空腹とかの絶頂だったように思う。友達を食べるって、やっぱ違うんだよ。
一緒に行動していた人も大切な仲間だけど、やっぱりその人のとは違うんだ。
味とか臭いだけじゃなくて、言葉に言い表せない気持ち悪さとか悲しさとか
色んなのがごちゃまぜになった状態で、涙が出そうになるんだ。
声を出して泣きたい位の涙が出そうになるんだ。でも、出ないんだ。
水が殆どなかったからかもしれないけれど、サニャの手を食べた時は、
ソニアもメルヴィナも、もう泣かなかった。
ご飯食べてた人はごめん。それとちょっと少し落ち着きたいので、
休憩させて下さい、
今日は、可能な限り朝まで書くからさ。ごめん。
現実なんだよな
釣りじゃないんだよな
>>57
信じるも信じないも、全て皆の判断にお任せするよ。ここで俺が本当だ、信じてといっても、
俺が嘘をついて本当だと言っていたとしたら、意味がないでしょ。
ただ、こういった事が実際に起きた紛争だったと、起きたんじゃないかな、
そう思って、この紛争に、この地域にもっと関心を持ってもらえればそれでいいんだ。
辛ければ、信じなくてもいいんだ。ただ、どうかこの地で起きた一連の出来事を、
知って欲しい。そして、もっと関心を持って欲しい。上手く言葉に出来なくてごめんよ。
この時ぐらいからだったと思う。俺も含めて、ソニアやメルヴィナも
あんまり感情を表に現さないようになっていった。
そんな生活をして1・2ヶ月経った頃、皆の体力もかなり落ちていて、
このまま生活していても先がないという話になったんだ。
それで、本来の目的地だったゴラジュデに向かうことになった。
毎日日記はつけていたつもりなんだけど、フォーチャから脱出して
数日は記憶が殆どなかったせいで、正確な日にちはわからない。
だけど、恐らく6月に入って数日程度経った頃だったと思う。
ゴラジュデへの道のりは、大体3日間ほどだったんだ。
それでも、体力が落ちていた俺達には、過酷で辛かった。
ああ。
グーグルマップで>>1がいたであろうフォーチャ東の山を見てる
緑はあるけど結構ハゲてるところも多いな
>>66
ごめん。山の中にいたから、どこらへんかわからないんだ。
ただ、剥げているというか農地の場所とかはあったと思う。結構、人が近くに居たりする場所で
隠れて生活するには向いていない地域だったと今考えれば思う。
ゴラジュデに向かいだして二日目の昼頃。
山の中を進んでいくとは行っても、道路とか人の生活圏を完全に避けて通過するのは厳しかったんだ。
本来であれば、夜にそういった場所を通過した方が安全なのだけれど、
俺達には体力的にもそんな余裕がなかった。
この時は、丁度山道を横切る時だった。道の200Mぐらい手前で、道に銃を持った人間がいるのが見えたんだ。
警察か民兵か、それとも軍の兵士なのかは見分けがつかなかった。だけど、そこを通らないと山が越えられなかったんだ。
俺達、というか大人達は選択に迫られたんだ。このまま気づかれないように進むしかない。
だけど、それには大きな障害があったんだ。それは、赤ちゃんだったんだ。
赤ちゃんはさ、泣くのが仕事っていう位、よく泣く。このときは、元気もあまりなくて、
そんな泣くほどでもなかったんだ。それでも、もし万が一泣いてしまったら、俺達はつかまってしまう。
全員の安全の為には、赤ちゃんを連れて行くことはさ、出来なかったんだ。
でもさ、さっきも書いたように、俺ぐらいの子どもも、大人達も、赤ちゃんや幼児の為に
どんなにお腹が空いていても、我慢して、耐えて、その子たちに優先的に食べ物を
まわしていたんだよ。そんな簡単に、皆の為にといって、赤ちゃんを連れて行かない
なんて、決断は出来なかったんだ。
少しの間、沈黙が流れてさ、言いたいことはわかってる。だけど、誰も言い出せない状況が続いた。
ここまで一緒に行き抜いてきたんだ。こんな小さい赤ちゃんでも、皆にとっては大切な仲間で、
気持ちとしては、家族同然のようなものだったんだと思う。
赤ちゃんの母親はさ、皆が言いたいことは十分わかっていたんだと思う。そして、皆がそれを
言い出せないという事も理解していたんだと思う。誰も言い出さない中さ、笑いながら、
皆が言いたいことはわかるって。自分もこの子も、自分たちの為に皆が危険な目に合うのは
望まないって言ってさ。自分が母親だから、きちんと責任を持つって言ったんだ。
だから、皆は先に進んでください。この子とお別れをしたら、私も後から追からって。
何とも言えない空気の中で、そう言った母親は、さっき来た道を戻って行ったんだ。
大人たちは、母親の姿が見えなくなった後に、「すまない。」って一言二言いって、
武装したスルツキの近くを通過していくことにしたんだ。
スルツキ達が居る場所を過ぎて、少し数百メートル歩いたところで、俺達は数時間待ってたんだ。
母親が後から来るっていってたからさ。でも、結局母親は来なかった。
今思えばだけど、後から追うっていうのは、赤ちゃんの後を追うって意味だったんだろうな…。
次の日になると、先頭を進む人と、後方の人の距離がかなり広がっていた。
もう休んでいる時間も体力もない。もし休んだら、そのまま動けなくなってしまうような
状態だったんだ。だから、この時になると、暗黙の了解じゃないけど、
体力のない人はどんどん遅れていくようになった。幼児とかは、まだ小さいから、
体力のある大人が背負えるんだ。だけど、俺達ぐらいになると、体重が多少あるから、
背負えないんだよ。
もしかしたら殺せず二人で逃げたのかもしれないな
>>75
逃げ場なんてないんだ。前にも言ったけど、俺達がいた場所はさ、スルプスカ共和国って名乗る、
スルツキの領内だったんだ。どこに逃げても、味方なんていないんだよ。
だからこそ、俺達はゴラジュデへ向かったんだ。それ以外の選択肢なんてなかったんだ。
例え逃げたとしても、待っているのは死か、スルツキに捕まるかのどれかだったんだ。
そして、この時、スルツキに捕まるのは死も同然だったんだ。
そして、丁度最後尾に居たのは、俺とソニア、メルヴィナだったんだ。
ソニアは体力的にも、精神的にも参っててさ、俺とメルヴィナが引っ張りながら歩いていたんだけど、
子どもだからただでさえ歩くのが遅いんだ。引っ張りながらだと、さらに遅くなって、
全然追いつけないんだ。
気づいたら、俺達は皆とはぐれてたんだ。遠くの方からは、爆発音みたいな音とかが聞こえてきてて、
どこかでまたあのような惨状が繰り広げられているかもといった考えが過ぎった。
もしかしたら、大人が心配して引き返してきてくれるかもって思った。
だから、俺はメルヴィナにここで大人達を待とうって言ったんだ。
だけど、メルヴィナは駄目って言うんだ。
「戻ってこないよ。自分達で進まなきゃ。」
って言うんだ。
俺達は三人だけで、道もわからないのに、進んだんだ。メルヴィナがさ、
もしかしたら、味方が来てスルツキの兵士をやっつけてるかもって言うんだ。
確かに、そうかもって。何かにすがりつかないと前に進めなかった。
だから、俺達は、音がする方に味方がいるって希望を持って、
そっちに向かったんだ。
でも、それが間違いだった。
山と山の間に、少し開けたところがあって、俺達はそこに出たんだ。
あんなに体力が落ちてなければ、疲れていなければ、
もっと冷静に考えられたのかもしれない。
だけど、この時の俺達は、子どもでそこまで思考能力もなかったし、
そして疲れ果てていて、頭が回らなかったんだ。
開けた場所の半分くらいまで歩いた時だった。
横の道から、振動と共に何かが近づいてくる音がしたんだ。
もうさ、前の方からは爆発音とかがしてて、そんなの聞こえない
はずなのに、聞き間違いだって思いたかったんだ。
だけど、爆発音の合間に、何かが向かってくる音がするんだ。
味方かもしれない。でももしスルツキだったらどうしよう。色々不安と期待があった。
俺は怖くて、迷って、そしてその場で止まってたんだ。
そしたら、メルヴィナがとりあえず逃げなきゃって言ってさ、
俺はソニアの手をつかみながら全力で前の森というか、山に向かって走ったんだ。
それで、何とか木のところまで来て、良かった。何とか隠れられたって。そう思ったんだ。
それで後ろを振り返ったら、メルヴィナがいないんだよ。
何でって思ったら、メルヴィナがさ、メルヴィナがこんな時にだよ。
こんな時に限ってさ、転んじゃってるんだよ。
もう近づいてくる音もかなり大きくなっていて、振動もしてきていたんだ。
メルヴィナ早く立ってこっちに来いって叫んだんだ。
だけど、メルヴィナは立たないんだ。いや、立てないんだよ。
3日間も、殆ど寝ないで飲まず食わずで歩いてきたんだ。
体力的にも精神的にも、限界なんてとっくに通り越してたんだよ。
俺は助けに行かなきゃって、もう見つかってもいい。ここで俺がおとりになれば、
もしかしたら二人は助かるかもしれないって。それで飛び出してメルヴィナの所に
走って駆け寄ったんだ。
でも、メルヴィナを起こそうとしても、メルヴィナは足に力が入らない、立てないって
言うんだ。だけど、こんな所で見捨てるなんてできるわけないじゃないか。
ここまで一緒に行きぬいてきたのに、もう三人だけになってしまったのに、
見捨てるなんて出来るわけじゃないないか。
だから、メルヴィナを背負ったんだ。だけどさ、情けないよ。全然前に進めないんだ。
この時、俺は8歳で、小学3年ぐらいだったんだ。男女の差といっても、体格的にも、
肉体的にもまだそこまで差がなかったんだ。普段だったら、それでも何とか歩けたはず
なんだ。でも、この時の俺にはそんな力なんて残っていなかったんだよ。
頼むから前に進んでくれって頭の中で思っても、全然前に進めないし、
足のふんばりも効かないんだ。もう、向かってくる音はかなり鮮明になっていて、
金属音も混じっていたんだ。俺とメルヴィナの姿が相手に見られるのも、
時間の問題だった
俺はメルヴィナに大丈夫だから、俺が何とかするからって言ったんだ。
だけど、メルヴィナがさ。泣きながら、
「もういいから、ソニアの所に行って隠れて」って言うんだ。
そんな事出来るわけないじゃないかって怒ったんだ。
だけど、メルヴィナはこのままじゃ見つかるって。
今ならまだ間に合うって。今隠れれば、ソニアと俺は助かるって言うんだよ。
俺は嫌だ嫌だって言って、背負ったまま前に進もうとしたんだ。
そしたら、メルヴィナが暴れてさ、地面に落ちてしまったんだ。
すぐにまた背負おうとしたんだけど、メルヴィナがあばれて、
背負えないんだよ。何するんだって言ったらさ、
お願いだから隠れて!って。俺とメルヴィナが見つかったら、
ソニアはどうなるって、このままじゃ全員捕まっちゃうって叫ぶんだ
だから二人だけでも逃げてって泣きながら叫ぶんだ
俺は弱虫なんだよ。俺はメルヴィナの所に留まっておくべきだったんだ。
それなのに、体が勝手にソニアの所に向かってるんだよ。
何やってるんだよやめろって自分にいっても、
体が勝手に逃げちゃうんだよ。
ソニアの所へ入る直前か、直後かわからない。
隠れて振り返ったら、戦車が向かってきていた。
メルヴィナは俺が隠れたのを確認したら、横になりながら体を
動かして俺達の方向に背を向けたんだ。
頼むから味方でいてくれって、敵だとしたら、気づかないでそのまま通り過ぎてくれって
そう祈った。だけど、現実は全然幸運なんてないんだよ。思ったとおりにならないし、
神様なんていなかったんだ。戦車はメルヴィナの横で止まって、上からスルツキの軍服を着た
兵士が出てきたんだ。
外務省のHP見てた
>1992年4月、BHの独立を巡って民族間で紛争が勃発し、3年半以上にわたり各民族がBH全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた結果、死者20万、難 民・避難民200万と言われる戦後欧州で最悪の紛争となった。
これか・・・
そんで
>日本は、1996年1月23日にボスニアを国家承認し、同年2月9日に外交関係を開設した。
っつーことは当時は日本大使館もなかったわけか。
ごめん。あんまり細かく書きたくない。ごめん。
降りてきた兵士はさ、メルヴィナの事を蹴ったんだ。メルヴィナは濁った叫び声を一瞬だしてさ、
生きているって確認した兵士は、笑いながら何かを言った。そしたらもう一人、兵士が出てきて、
暴れるメルヴィナを叩いて、服を脱がせて乱暴したんだ。たった8歳の少女に乱暴したんだよ。
メルヴィナは泣き叫んでもおかしくないのに、自分の口を手で押さえて、叫ばないようにしてるんだよ。
俺らに助けを求めないように、俺らが見つからないようにしてるんだよ
自分が酷い目にあってるのに、怖くて痛くて辛いはずなのに、
メルヴィナは自分よりも俺達を心配して、自分の口を押さえてるんだよ。
俺とソニアを助ける為に必死に耐えてたんだ
すぐにでも飛び出さなきゃいけない。助けなきゃいけない。
でも、それをしたらメルヴィナの行動は全て無駄になってしまう。
俺には決断できなかった。何でこんな選択をしなきゃいけないんだって、
山中の生活を通して、感情をあまり外に出せなくなっていたソニアや
俺は泣きながら見ていることしか出来なかった。
これが戦争なんだって。これが人間なんだって。これが神様の作った世界なんだって。
神様なんて、残酷な悪魔だと思った。
俺は本当に無力で、何も出来ない弱虫で、本当は俺があそこで殺されているべきなのに、
俺はメルヴィナに代わって死ぬほどの勇気を持っていなかったんだ。
持っていたとしても、それは本当の勇気だとか決意じゃなかったんだ。
日本に居る頃は、自分は何でも出来る、やろうと思えば何でも出来る人間だと思っていた。
だけど、実際の俺はあまりに無力で何も出来ない弱虫だったんだ。
ソニアはずっとごめんなさいと繰り返し言っていた。
俺は、メルヴィナが乱暴されて、連れ去られるのを見ている事しか出来なかった。
この時だったよ。今まで憎しみだとか、悲しみだった心が、自分には抑えられないぐらいの
怒りと殺意みたいなのに変わっていた。絶対にあいつらをころすって。
ころしたいって。
でもこれで>>1がそいつらを殺したら
今度はそいつらの遺族が>>1をぶっ殺したいって思うよね
>>117
だから俺は書いて誰かに伝えなきゃいけないんだ
それを誰かに伝えて、何かを感じて欲しいから書いてるんだ
もう少し待って、そしたら俺が伝えたいことが、何となくわかってもらえるかも
しれないんだ。
それから数時間くらい、俺とソニアはそこから動けないでいたんだ。
だけど、ここにずっと居たって何も変わらない。
俺とソニアは手を繋ぎながら、轟音止まない方向へ向かった。
世界は不幸なことばかりじゃなくて、幸せもあるかもしれない。
だけど、不幸幸せ不幸みたいに、交互に来るとは限らないんだ。
俺達は、ずっと目指していたゴラジュデに、沢山の大切な犠牲を払って
辿り着いたと思ったよ。だけど、街には入れないんだ。
http://www.youtube.com/watch?v=ydUA7w8XGAs
紛争時のサラエヴォの映像
>>1はこんな状況の中、街に居ることもままならなかったんだな
というか、>>129の動画でなんでこの人たちこんなところにいるの?
なのに、子供だけで山の中放浪って・・・
>>135
街から出れないからだよ。陸路で街に入る事も、出ることも出来ないんだよ。
包囲された街に残された人々には、包囲が解けるのを待ち続けて、
生き抜くしかないんだよ。援軍も見込めない中、いつ包囲が解けるのか、
それとも死ぬのか、わからないままそこで生き抜くしかないんだ
近づくことも出来ないんだ。もう、街はスルプスカの軍に包囲されて、
攻撃を受けていたんだ。山の中にもスルプスカの兵士が大勢居て、
全ての希望を打ち砕かれてさ。声も出なかった。
ここに留まることも、街へ入ることもできない。
俺とソニアは、世界で二人だけ取り残された気分になってさ、
でも諦めたら駄目だって。自分に言い聞かせて、
ゴラジュデから離れて延々と、山の中をあり着続けたんだ。
ごめん。山の中を歩き続けたんだ
ここらへんは、日記もちゃんとかいてなくてさ、何日歩き続けたかわからない。
でも、今思えば、約2ヶ月くらい山中で生活した経験がなかったら、
俺とソニアはここで死んでいたと思う。
歩き続けて何日目かわからないけどさ、小さな川というか湧き水みたいなところがあって、
そこで休んでいたら、銃をもった人が駆け寄ってきたんだ。スルプスカの兵士かと思ったけれど、
そうじゃなくてさ、ボシュニャチの民兵の人たちだった。
それから93年の10月くらいまで、一年半くらいボシュニャチの民兵の人と行動を共にしたんだ。
俺はさ、彼らと過ごして1ヶ月ほど経った頃に、俺も戦わせてと頼んだんだ。
何でもするって。死んでもいいって。だから俺も戦わせてって頼んだんだ。
>>1よ
楽になるために書くならまだしも辛い思いをして書くこたねえと俺は思うぞ
>>139
辛くても書かなきゃいけないから書いてるんだ。
これは俺の為でもあるんだ。
勇気を出すって。勇気を出して戦う。もう逃げないって。だからお願いって。
でも、彼らはそれを許してくれなかった。中学生くらいの子どもにも銃を持たせているのに、
何で俺は駄目なのかってしつこく聞いたんだよ。スルプスカの兵士が許せないって。
そしたら、名前は書けないけど、民兵の一人が俺に言うんだ。
戦いに勇気なんて必要ない。
生きる事にこそ勇気が必要なんだ。
君は戦う以外にも出来る事があるだろう。
君だから出来る事があるだろう。
俺達は戦争が終わるまで生きていられないだろう。
君は、ここで何が起きたかを伝えなさい。
同じ事が起きないように。
辛くても生き抜いて、そして胸を張って
友人に天国で会えるようにしなさいって。
彼らと過ごした間、俺は色んなものを目にした。
俺の中で、この時スルツキの人々や軍、警察、民兵は絶対的な悪のような
存在になっていたんだ。そして、ボシュニャチは被害者だと。
だけど、違ったんだよ。民兵の人たちはさ、スルツキの集落を襲って、
食料を奪ったり、スルツキの大人や子どもを殺害したり、
女性をレイプしたりしていたんだ。
俺はわからなくなっちゃったんだ。何が正しくて、何が間違っているのかとか。
何が悪で、何が正義なのか。あんなに被害を受けて、その苦しみを知っているはずの
人たちが、同じ事を、相手の民族に、人々にするんだ。
俺は、何でそんなことをするの?やめようよって何度も言った。
それはやっちゃいけないことだよって。
そういうと、決まって民兵の人は悲しそうな顔をしてさ、
そんなのはわかっているんだって。でもこうしないと、自分達の仲間が同じ目に合うって。
矛盾に気づいているのに、それをしなければいけない状況だったんだ。
ボシュニャチもスルツキも。
俺はこの時、まだ彼らの紛争の歴史も何も知らなかった。
前にも書いたと思うけれど、スルツキの人々も同じように、歴史上で何度もこういった
虐殺の被害に合ってるんだ。どちらも被害を受ける苦しみや怒り、恨みをしっているのに、
それでも尚、お互いにそうしなければ、やられる状況になっていたんだ。
恨みや禍根は残されたまま、次の世代へと引き継がれて、また同じ悲劇を繰り返している。
それがこの時の紛争だったんだ。
前に、国は3つの勢力に別れたって書いたよね。
ボシュニャチ、フルヴァツキ、スルツキの3勢力に。
ボシュニャチとフルヴァツキは最初は味方同士のような感じだったけれど、
連携は取れていなくてさ、国内で、つまりヘルツェグ=ボスナでは
フルヴァツキの軍や人々によって、ボシュニャチやスルツキの人々が虐殺された。
一つの民族が、一方的に虐殺するのではなく、お互いに民族浄化の応報を
繰り広げていたんだ。
レイプする必要あんのかよ
>>148
レイプは単に性的欲求を満たす為の行為じゃないんだ。
敵対する、憎む民族の女性をレイプする、それは自分達の民族が、
敵対する民族に勝利する、やっつけるといった優越感を示す行為でもあったんだ。
だから、女性は標的になったんだ。
9月に入ると、フルヴァツキとスルツキの二つの勢力が同盟を結んでさ、
ボシュニャチは二つの民族から挟まれる状況になったんだ。
その理由は、フルヴァツキの人々も、自分たちによる、自分達の国が、
このボスニア・ヘルツェゴビナの領内で欲しかったんだ。そして、
最初は共に戦ってもヘルツェグ=ボスナ内でスルツキの人々が
一掃されて、領地の争いが減ったんだ。フルヴァツキからすれば、
次はボシュニャチだったんだ。
10月の中旬ぐらいだった。
ボシュニャチの勢力は、スルツキ・フルバツキの二つの勢力に挟まれ、絶望的な状況になっていた。
俺はそういった経緯は、日本に帰ってきてから知ることになったけど、この時、自分達が
かなり追い詰められているというのは何となく認識していた。
俺とソニアが一緒に過ごしていた民兵達の部隊も、人数がどんどん減っていって、
人手が不足していた。この日も、殆どの人が離れた街に行ってしまって、
拠点としていた洞窟には十数人しか残っていなかったんだ。
もう秋になって、辺りが暗くなる時間も早くなってきていた。
拠点に残っている大人はさ、殆どが負傷した人だったんだ。
だから、俺は暗くなる前にさ、水を汲んでくる必要があった。
この時、ソニアも一緒につれて行けば良かったんだよ・・・。
だけど、誰かが負傷した人を見てなきゃいけなくて、
俺が水を汲んできて、その間ソニアが負傷した人を看ているって
するしかなかったんだ。
水を汲む場所までは、山を下らなきゃいけなくて、子どもの足で往復4時間くらいかかるんだ。
水を汲んで洞窟の近くまで来た時には、もう辺りは暗くなっていた。
ソニアはちゃんと看てるのかなって心配しながら、水汲んできたよって洞窟の中に入ったんだ。
だけどさ、洞窟の中に明かりが点いてないんだ。もう外は暗くて、洞窟の中も真っ暗なのに、
明かりが点いてないんだよ。最初はおかしいなって思ったんだ。だけど、ソニア疲れて
寝ちゃったのかって。ちゃんと看病しなきゃ駄目じゃないかって。
ソニアちゃんと看ててって言ったでしょって言いながら、スイッチを押したんだ。
だけど、明かりが点かないんだ。何回押しても点かないんだ。俺さ、民兵の人たちと
過ごしている間、前のように本当に危険な目に合う事が殆どなかったんだ。
ソニアを守るって、だからどんな時でも俺はソニアから離れちゃ駄目だし、
どんな時でも警戒して、気をつけてなきゃいけないんだ。
でも、馬鹿な俺はその大切なことも忘れて平和ぼけしてさ、それを怠ったんだ。
信じたくなかった。ただ電球が切れただけだと思いたかった。
確かめるのが怖かった。誤解であってくれって、神様どうか誤解であってくださいって
祈ったんだ。だけど、洞窟の奥に進んでいくに連れて、真っ暗で何も見えなくても、
嗅いだ覚えのある臭いがするんだ。錯覚だって。これは錯覚だって。気のせいだって。
でも、うめき声とかも微かに聞こえてきて、何かが焼ける臭いもしてきてさ、
気づいたら両手に抱えていた水の入れ物を落としていた。
ソニアの名前を何度も呼んだんだ。ソニアソニアどこにいるのって。隠れないで出てきてよって。
だけどソニア全然出てこないし返事しないんだ。
酷い話だけどさ、横で兵士の人がうぅって苦しそうに声を出していたんだ。
だけど、俺はそれどころじゃなかったんだ。必死に地面に這いつくばって、ソニアが
居ないか手探りで探したんだ。何人か、冷たくなった大人の死体とかに触れたけど、
それに驚いたり気遣ってたりする余裕なんてなかったんだ。
どれくらい探してたのかわからない。もう時間の感覚とかもよくわからなくなっていた。
気づいたら、洞窟の奥まで来ててさ。壁に手を付きながら探していたら、小さな体に触れたんだ。
すぐにわかった。夜になると、いつも一緒にくっ付きながら寝てたんだ。すぐにソニアだってわかった。
頭が真っ白になって両手でソニアに触れたんだ。でも、ソニアの体は温かかったんだ。
息もしていて、ソニアは生きていたんだ。良かった。何が起きたかわからないけど、ソニアは生きてる。
良かったって。ソニア大丈夫?って声をかけたら、小さい声でうん。って言ったんだ。
離れてごめんねって。ソニアを追いて水汲みにいってごめんって言いながら、ソニアを抱き寄せたんだ。
そしたら、手に生暖かい液体がついてさ、最初は何かわからなかった。でも臭いを嗅いだら、
血ってすぐにわかったんだ。慌ててソニア怪我してるの?ソニア大丈夫なの!?って聞いたんだ。
ソニアはまた小さな声で、うん。って言ったんだ。俺は急いで傷の手当しなくちゃって思って、
洞窟の中は暗くてよく見えないから、ソニアを背負って外に出ることにしたんだ。
ソニアの体がいつもより軽く感じて、そしてソニアの体から垂れる血のピチャ、ピチャ、って音が、
洞窟の中で響いていたんだ。不安になった。だけど、ソニアは返事をしているし、ちょっとした怪我なんだって、
ちょっとした怪我だって、悪いことを考えないように必死に自分に言い聞かせたんだ。
洞窟の外に出た時は、もう外も真っ暗で、月が綺麗に輝いていたんだ。
俺はソニアを草の上に下ろしたんだ。最初は見間違いかと思った。
だけど、何回目をこすってもさ、ソニアのお腹から血が一杯出てるんだ。
頭の中で理解できないような色んな感情とかが渦巻いてきたんだ。だけど、
血を止めなきゃって。俺は上着を全部脱いで、ソニアの上着を捲ってさ、
血を止めようとしたんだ。そしたら、ソニアのお腹に大きな穴が何個も空いてて、
そこから沢山の血が流れてたんだ。俺ってば、分厚いコート着ててさ、背負ってるのに、
こんなに血が出てるのに気づかなくて・・・
シャツでソニアのお腹を抑えたんだけど、全然血が止まらなくて、どうしようどうしよう、
誰か来てよって泣きながらソニア大丈夫だよ大丈夫だよって何度も叫んだんだ。
でも血が止まらないんだ。そしたら、ソニアが血を口から垂らしながら、
うん。だいじょうぶ。って言ってさ。しゃべっちゃ駄目って言ってるのに、
小さな声で喋り続けるんだよ。月が綺麗だねって。どうして祐希泣いてるのって。
ソニアを心配させちゃ駄目だって思って、泣いてないよ。だから喋らないでって言ったんだ。
だけどソニアはそれでも話すのをやめなくて、声を出すたびに血が溢れてくるんだ。
混乱してて、慌てて、怖くて、正確には覚えてないんだ。だけど、ソニアは昔の話をしだしてさ。
特別な日覚えてる?って。俺すぐには思い出せなくて、何?って言ったんだ。そしたら、
祐希にお友達になってくれたお礼をした日って言うんだ。
俺は覚えてるよ。忘れるわけないじゃんって泣きながら答えたんだ。
そしたら、ソニアはちょっと笑いながら良かったって言って、
あの時も綺麗な月だったねって。
俺はうまく言葉が出せなくて、うん、うん、って相槌しか打てなかったんだ。
それでもソニアは喋り続けて、
ずっと一緒にいれなくてごめんねって言うんだ。
ソニアはわかっていたんだ。自分が大怪我して、もう助からないってわかってたんだ。
もう俺は何て言葉を返したらいいかわからなかった
ソニアは、もうお腹押さえなくていいって、その代わり手を握ってって言うんだ。
もうソニアは手に力が入らないみたいで、俺の手を握り返せないんだ。
手を握ってさ、目の前にいるのに、ソニアが言うんだ。
祐希、ちゃんと手にぎってる?そこにいる?って。
俺はちゃんと握ってるよ。隣にいるよって答えたんだ。
そしたら、そっか。良かったって言ってさ、ごめんね、ありがとうって小さな声で言った後、
何も喋らなくなったんだ。
息はまだしてたんだ。もし医者がいれば、医者じゃなくても大人が居ればソニアは助かるかもしれないんだ。
でも、俺は何も出来ないんだよ。大切な子がソニア以外いなくなったり死んじゃったりして、
もうソニアしかいないのに。たった一人の大切な人なのに何も出来ないんだよ。
ソニアの息が少しずつ弱くなって、体が冷たくなっているのに、横でただ泣きながら見ているしか
出来ないんだよ。
俺は目の前で起きた現実を受け入れることが出来なかった。
やらなければいけない事は沢山あったんだ。
洞窟の中にはまだ生きている民兵の人がいたんだ。
でも俺はソニアの傍から離れる事が出来なかった。
この日まで、沢山の人に助けられて生き延びてきた。
沢山の人の、仲間の友達の犠牲の上で、生きてきたんだ。
なのに、何もお返しも出来ずに、逃げてばかりで、
まだ生きている民兵の人だけでも助けなきゃいけないのに、
その人たちに助けられて、今まで面倒をみてきてもらっていたのに、
頭で理解してても何も行動できないんだ。
気づいたら朝になっていて、洞窟の中でまだ息のあった人たちも、皆亡くなっていた。
もう心が耐えられなかった。情けない自分が、同じ過ちを何度も繰り返す自分が許せなかった。
それから数日間、ソニアや民兵と一緒に過ごしていたんだ。
でも、外に出ていた民兵の人は誰も帰ってこなくて、
もう全てが終わった事に気づいた。本当はとっくに気づいていたけど、
もう現実を受け入れるほど俺の心は強くなかったんだ。
それから、少しして、俺は皆の遺体を埋めることにしたんだ。
スコップとかがないから、木の棒でひたすら彫り続けて、
全員の遺体を埋めるには数日かかった。
俺ムスリムじゃないからさ、お墓に何をすればいいかわからなかったんだ。
だから、棒を立てて、咲いていた花を移して植えるぐらいしかできなかった。
ボシュニャチの民兵の人に、辛くても生き抜けって言われたけど、
もうそんな気力もなかった。もう全てを失って、希望だとか光も何もないんだ。
その場で死のうと思って、銃を探したんだけど、銃が全部なくなってるんだ。
少量もとっくに尽き果てていて、飲まず食わずでいた俺は、
もう疲れて眠くなっちゃってさ、そのままソニアを埋めた場所の前で
寝たんだ。
目を覚ましたら、夢の中みたいで、どこかの家のベットに寝てたんだ。
おかしいな、これは夢なのかなってそれとも今までのが夢なのかなって思ってたんだ。
そしたら部屋の中に中年ぐらいの女の人が入ってきてさ、
何か俺にいいながら、水とか食べ物をくれたんだ。
それから少しして、これが夢じゃないってわかってさ。
俺は山で倒れていた所を、スルツキの民兵に保護されて、
そこから結構離れた民兵の暮らす集落に連れて来られていたんだ。
もう死にたいって思ってた俺はさ、スルツキの民兵がソニア達を撃ったんだろって、
絶対に許さないって暴れたんだ。
でも、この家の奥さんや、民兵の旦那さんは悲しそうな顔しながら、自分たちはしていないって言ってさ、
俺が暴れてるのに抱きしめてくるんだ。
俺は嘘つきめ、嘘つきめって叫びながら暴れたんだけど、離してくれなくてさ、
寝るって言って部屋に篭ったんだ。
それから何日も、部屋にもって来てくれたご飯とかも食べないで、
ずっと篭っていてさ、そうだ、ここから逃げればいいんだって思ったんだ。
それで夜になるのを待って、窓から外に飛び出して、辺りを見渡したら、
十何キロ先かわからないけど、前いた山っぽいのが見えたんだ。
俺はソニア達の所に戻らなきゃって、あそこに戻らなきゃって思って、山に向かったんだ。
途中で、道がわからなくなったりして、何とか洞窟についた時には3日以上経っていたと思う。
その後、2日くらいまた洞窟で一人過ごしていたんだ。
そしたらさ、集落の民兵の人が来たんだ。
気づいた時にはもう洞窟の入り口の所まで来ていて、逃げ場はなかった。
ああ、俺も撃たれるんだな、良かったってほっとしたんだ。
だけど、彼らは俺を撃たないんだ。撃たないどころか、一人で何してるって怒るんだよ。
意味がわからないんだよ。お前らスルツキは子どもでも女の人でも殺して、
子どもに乱暴だってするだろって。俺の事も同じようにしろって泣きながら叫んだんだ。
だけど、彼らはただ無言のまま俺を担いでさ、洞窟から連れ出そうとするんだよ。
嫌だ嫌だって言っても離してくれなくて、バックがバックがだから離しせって
言っても離してくれなくてさ。バックはどれだって言うから、答えたら、
俺が預かるとかいってさ、俺の事を下ろさないまま山を下ったんだ。
疲れていたのもあって、俺は途中で寝ちゃってさ、起きたらもう集落のすぐ近くまで来てたんだ。
その後、また同じ家に連れて行かれて、家に入ったら、あの二人が怒りながら俺の事をビンタしたんだ。
それから俺の事、この前よりも強く抱きしめてきて、また暴れようとしたんだけど、力が強くて
暴れられなかった。
それから知ったことなんだけど、この集落の人たちは元々民兵じゃなかったんだ。
ボシュニャチの民兵に襲われて、村の女の人や男の人、子どもも何人か殺されたり連れ去られたりして、
それで武装してたんだ。俺を世話してくれた夫婦にはさ、俺よりちょっと年上ぐらいの子どもがいたんだ。
だけど、彼は襲われた時にボシュニャチの民兵の人に殺されてしまっていてさ…。
その時、漠然と皆が苦しんでるっていう感じだったものがさ、スルツキの人も苦しんでいるんだ、被害にあってるんだ、
皆が辛いんだって確信に変わったんだ。
多分だけど、俺がお世話になっていたボシュニャチの民兵の人達なんだ。
この集落を襲ったのはさ。そして同じような事を他の集落でもやっていたんだ。
中には、本当に悪い奴もいて、虐殺や暴行、レイプをしている人間もいるんだ。
それは否定しようがない事実なんだ。そしてスルツキが今回の紛争で大勢のボシュニャチの
人々を殺してたり、暴行したり、レイプしたのも事実なんだ。だけど、彼らもまた、同じような被害にあってるんだ。
自分達を守る為に、家族を守る為に、お互いにお互いを殺しあってるんだ。
望んでいるのは、形は異なっていても、同じ平和に暮らすってことなのにさ。
でも、昔に起きた虐殺や戦争の禍根が未だに残っていて、それがお互いの理解とか
そういうのを邪魔するんだ。積もりに積もったものが、阻むんだ。
今までの歴史が、彼らに人を殺させるんだ。やらなきゃ、やられるって思わせるんだ。
それから俺は、彼らと1年ちょっと生活した。
スルツキの人を憎む気持ちは薄れることはないんだ。
だけど、彼らにも彼らの事情があって、それを俺は否定出来ないんだよ。
否定する事が出来ないんだ。少なくとも、全員が望んで人を殺しているわけじゃないんだ。
罪悪感とかそういうのと戦いながら、それでも殺さなきゃいけないって、
それで相手を殺している人たちもいたんだ。
彼らと暮らして半年ぐらい経った頃だったと思う。
アメリカを始めとするNATOが、スルツキの勢力下の地域に爆撃を始めたって聞いた。
後で知ったけどさ、もっと前から国連として活動はしていたんだけど、
遅すぎるんだよ。もう何もかもが遅すぎるんだ。
そして彼らと暮らして大体1年2ヶ月ほど経って、1994年の12月になったんだ。
1月から停戦になるから、祐希はサラエヴォへ行って、そこから国に帰りなさいって
言われたんだ。
でも、俺はもう嫌だった。というより、これから先、全てを背負って生きていく自信がなかったんだ。
集落を出発する朝、俺を世話してくれた夫婦とか、民兵の人が集まってくれたんだ。
だけど、俺はもう無理だって、もう死にたいって思ってさ、頼んだんだ。
頼むから俺を殺してって。痛くても我慢するから、殺してって。大切な友達達も
皆いなくなってしまったのに、生きていても辛いって言ったんだよ。
そしたら、周りの兵士たちもお世話をしてくれた二人も
悲しそうな、少し困ったような顔したんだ。そしてお互いに見つめあいながら、
何かを早口でいってさ、俺を取り囲んだんだ。
俺はソニア達に、もうすぐそっちに行くよって、心の中で呟いたんだ。
やっと終われるって思ったんだ。
だけどさ、彼らは俺に何かをするわけでもなく、
歌を歌いだしたんだ。
何が起きたかわからなかった。違う国の言葉だし、
意味もわからなかったんだ。
意味を知ったのは、日本に帰って数年してからっだ。
今、youtubeのを貼るけれど、クリックして聞くのは、
日本語訳を書くまで待って欲しいんだ。
歌を聴きながら、日本語訳を目で追ってくれれば、
俺が伝えたいこと、彼らが俺に伝えたかったことが
わかってもらえるかもしれないから。
歌詞はね、
I see trees of green, red roses too
I see them bloom, for me and you
And I think to myself, what a wonderful world
I see skies of blue, and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself, what a wonderful world
The colors of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on the faces, of people going by
I see friends shaking hands, sayin' "how do you do?"
They're really sayin' "I love you"
I hear babies cryin', I watch them grow
They'll learn much more, than I'll ever know
And I think to myself, what a wonderful world
Yes I think to myself, what a wonderful world
Woo yeah
日本語訳です。音楽を聴きながら、読んでみて下さい
青々とした木々、そして真っ赤に咲くバラが見える
僕と君のために、咲き誇っているよ
僕は自分に語りかけるんだ、「なんて素晴らしい世界なんだろう」って。
青い空、そして真っ白な雲が見えるよ
光り輝く日が訪れ、夜がやってくる
僕は自分に語りかけるんだ、「なんて素晴らしい世界なんだろう」って。
美しい虹が、大空に架かっている
道を行き交うみんなの顔も輝かせているよ
人々は「元気かい?」と手を振りながら握手をしているよ
皆心の中で「愛しているよ」と言っているんだ
赤ちゃんの鳴き声を聞き、その成長を見守るんだ
この子たちは皆、僕が知らない世界も目にしていくんだろう
そして僕は思うんだ、「なんて素晴らしい世界だろう」って。
そう、僕は思うんだ。「なんて素晴らしい世界だろう」って。
この歌はさ、今の戦争の世界が素晴らしいって言ってるんじゃないんだ。
きっと、世界は素晴らしくなるんだ。そう皆が願い、思えば、
素晴らしい世界になるんだって意味なんだ。愛でね。
皆、好きで殺してるわけじゃないんだ。そうしないと自分達の仲間が
子どもが殺されてしまうからなんだ。そして、相手も同じなんだ。
それをお互いにわかっているんだよ。わかっているのに、止められないんだ。
泣きながら歌ってるんだ。ボシュニャチやフルヴァツキを殺した民兵たちが
泣きながらさ。
彼らは好きで殺してるわけじゃないんだ。そしてそれが許されない行為だと
知っているんだ。知っていながら、どうすることも出来ないんだ。お互いにね・・・。
この時、英語が理解できていれば、彼らに何か言えたかも知れない。
でも、当時の俺には何の歌かわからなかったんだ。悲しい歌なのかと思った。
平和を願う歌とは知らなかったんだ。
その後、俺はサラエヴォまで連れて行かれてさ、解放される時に手紙を貰ったんだ。
その手紙の内容は、ちょっと長いから要約するけど、
人生は不公平だ。一生平穏に暮らす者もいれば、一生紛争や貧困に喘ぐ者もいる。
だけど、人生には、神様が皆にチャンスをくれるんだ。学校やお父さん、お母さん、
大人や友人、彼らは何度でも君にチャンスを与えるんだ。それを活かすかどうかは、
君次第なんだよ。
小さな贈りものになるけれど、私は君に生きるチャンスを与えよう。
強く優しく、そして誠実に人生を全うしなさい。そして、
素晴らしい世界を作りなさい。子どもが笑いながら育つ世界を。
君達子どもに託そう。素晴らしい世界を。
こんな感じの内容なんだ。
その後、1995年1月から4ヶ月の停戦が結ばれ、俺は首都で再会した父と共に、
オーストリアに向かい、後に日本に帰ってきた。
結局、この一連のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が終結するのは、
俺達がこの国から脱出した10ヶ月後の事だった。
1995年7月、安全地帯となっていたスレブレニツァが包囲され占領されたんだ。
多くのボシュニャチが処刑、強姦、拷問され、生き残った中から一部の女性は
解放されたけれど、男性は殆どが順次処刑されていった。
殺されたのは、大人、子ども、男女、老若女男問わず虐殺されたんだ。
犠牲者は、8000人を超えていて、未だに身元がわからない人も多く居る。
もし、サラエヴォから脱出できなければ、僕らはそこにいたかもしれない。
良い人もいれば、悪い人もいる。スルツキが憎い。憎いけど、全てのスルツキが悪というわけじゃない。
どうしたらいいんだ。どうやって生きていけばいいんだ。平穏な日々に戻ってからも、それを悩んでいた。
そして、いつの間にかドラガンに責任を押し付け、うらんで、生きていくようになった。
それも間違いだった。前に書いたとおり、彼は裏切ってなんか居なかった。Facebookで彼の弟を見つけ、
コンタクトを送ったら、俺達がカリノヴィクで襲われた日に、彼は殺されていた。俺達を庇おうとして。
俺達を庇ってくれた仲間を裏切り者として、15年以上も憎んできた、「ずっと仲間だ」って約束したじゃないか、
それなのに、その言葉を忘れて、俺が彼を裏切っていたんだ。
今までの人生が全て崩れるような感覚に陥って、俺はもう生きていけないと思った。罪悪感だけじゃない。
俺には荷が重過ぎるんだよ。気づいたら、会社に退職願を出していた。
丁度さ、いい機会だったんだ。ドラガンの弟から、サニャとかの家族の現住所も教えてもらえてさ。
サニャとカミーユの家族は、全員ではないけれど、生きていたんだ。
だから、まずはドラガンのお墓で謝って、そしてドラガンの家族に謝罪して、そして感謝を述べて。
それでさ、その後は、カミーユの家族に会いに行って、サニャの家族に、サニャの遺品を渡してさ。
全てを終わらせようと思ったんだ。
ただ、ボシュニャチの人との約束の一つ、話を広めるというのは俺には出来なかった。
そして、もう時間もなかった。だから、こうして色々考えた末、vipにスレをたてて、今に至るんだ。
もし何かを感じてくれれば、それでいい。
欲ではあるけれど、俺自身、彼らが何を伝えようとしていたか、そして俺が何を伝えればいいか
考えて、それを少しでも感じ取ってくれれば、なお嬉しい。
大切なのは、素晴らしい世界を願い、それを伝えて、実現に近づけていくことなんだと思う。
文章を書くのが苦手な俺には、俺の気持ちだとか、どんな事が起きたかを上手くは伝え切れなかったと思う。
だけど、もし、読んでくれた中で、何か感じるものがあったとしたら、バルカン半島、ボスニアのことにも
少し目を向けてくれると嬉しい。日本だからこそ出来る事があると思う。
断罪するだけではなく、罪を犯してしまった民族にも、救済の手を、救いの手を差し伸べて欲しいんだ。
それは偽善かもしれない。それは意味がないことかもしれない。だけど、今ある禍根を…もしだよ。
もし取り除くことが出来れば、いつか素晴らしい世界になるんじゃないかな。
僕はそう思うんだ。
彼らが歌ってくれた歌に、そのヒントがあるような気がしたんだ。
”この子たちは皆、僕が知らない世界も目にしていくんだろう”
彼らが知らない世界、それは、民族融和かもしれない。
でも、それは簡単なことじゃないんだ。
恨みや禍根は、今現在一時的に裁きによって蓋をすることが出来たかもしれない。
だけど、それが消えたわけじゃないんだ。
行いが間違っていても、全ての民族に正義や大義名分があったんだ。一方的に絶対悪にして
断罪しても、その恨みや禍根は蓋で隠されているだけで、子どもたちに継承されていくんだ。
子どもたちに継承された恨みや禍根が、何度も、何度も同じ悲劇を繰り返してきたんだ。
それを断つには、周りの、世界の人々の手助けが必要だと思う。
そして、そういった時に、日本だからこそ出来ること、日本だからこそ
手助け出来る事があると思う。パレスチナとイスラエルの子どもを結びつけたように。
最後になるけれど、この紛争で亡くなった全ての方々のご冥福をお祈り申し上げます。
このスレは、約束を果たすケジメみたいなものだからさ。
読んで何かを感じてくれた人に、ボスニアについてもっと関心を持ってもらえれば、
それで俺の役目は果たした事になると思う。
俺が伝えたかったのは、ボスニアの話であって、俺の事じゃないんだ。ごめんね。
別に悲観的になる必要はないんですよ。安心してください。大丈夫です。
すまんいくつか質問させてくれ。答えにくかったらスルーで構わないから
メルヴィナの行方は分からないままか
>>1は向こうで死ぬつもりなのか
もし何らかの形でこの話が金銭を生んだ場合、>>1が望む使い道(出来れば「勝手に使ってくれ」という解答以外で)
メルヴィナの行方はわからない。
ドラガンの弟も知らないんだ。
探しても、どこにも情報がないんだ。
あっちに行ったら、探してみようとは思う。
出来れば、ボスニア・ヘルツェゴビナの為に使ってくれると嬉しい。
民族融和の活動もやっていたと思うから。
今、あの国は綺麗に民族の分布といったら失礼だけど、住んでいるところが綺麗にわかれているんだ。
そして未だに問題は解決していない。あっちの偉い人が言ってたけど、
未だに「世界の火薬庫」のままなんだ。それを解決する為に使って欲しい。
それじゃ、長い時間、そして長文なのに最後まで読んでくれてありがとう。
待ってくれよ、まだわかんねえよ
なんで>>1まで死ななきゃなんねえんだよ
大丈夫じゃねえよ・・・
>>1乙
最後まで書いてくれてありがとう!
ボスニアの事、俺ももっと調べてみるよ
でも、この民族の架け橋役は>>1ほどの適任はいないと思う
多くの人が目にするvipにスレを立てたことは間違ってないと思うよ
実際、俺はこの戦争に興味を持って話に耳を傾けているし知るきっかけを作ってくれたお前に感謝してる
でも祐希がこれから出会う人々、嫁、子供、孫に直接話し聞かせてやるって選択肢も間違いじゃないと思うよ
とりあえずカミーユやドラガンたちが命を張って守ってくれたお前の成長した姿を胸を張って見せてこい
何年恨んでたってドラガンとは謝っても許してくれないって仲じゃなかったんだろ
>>1乙 考えるきっかけをくれてありがとう
お疲れさま、書ききってくれて本当にありがとう
託された命、終わらせないでね
ああ・・・。ごめん言い忘れてた。この話の全ては信じないで。
日記を元にしているから、実際は間違っている事もあるかもしれない。
こんなこともあったんだと、感じてくれればいいんだ。
自分自身で調べてくれるのが一番いいけどね。
俺よりも辛く壮絶な経験をした人は沢山いるんだ。
紛争を生き抜いた孤児たちは、心に大きな傷を負って暮らしているんだ。
それは一生消えることはないと思う。
さっきボスニアのためにっていったけど、こういった世界の子ども達や人々の為に、たとえ金額が少なくても
寄付なり何なりしてもらえれば、嬉しいです。
俺の事は本当に大丈夫だから。心配しないで下さい。それじゃ、元気でね
聞きたいことが山程あるが、相応しい言葉が出て来んわ・・・
お疲れ。ありがとな
でもやっぱり俺が感じてた「書き終えた時の不安感」は残ってしまったよ
皆がくれた小さな贈り物は手放してほしくないなあ
できればまた日本に戻ってこいよ
乙
話を聞けて良かったよ
これからも生きていてな
おやすみ